物がない家での質素な子供時代が節約のヒントだった

今回は子供時代の質素な暮らしと結婚してからの節約生活についてお話をします。

私の子供時代はとても質素な暮らしをしていました。

冷蔵庫も掃除機もなくカラーテレビもない
お客様を招く応接セットのようなソファーもなければテーブルもない

畳だけの部屋にお仏壇とピアノ以外は

殆ど家具も持たない家だったのを思い出します。

私の母は教育ママではなかったので、ランドセルより小さな私が遠く離れたピアノ教室に通うのは負担だろうと思ったそうで私がピアノを弾くようになったのは、教育学部に入ってからでした。

小学生の頃、昨日の同級生がテレビ番組の話題で賑やかに話している時にうちは白黒テレビなので流行のテレビ番組も見ることはなく
そんな話題にも入らずにいたのを思い出します。

山鳥のお肉や卵を祖母が山で取ってきたり、
お味噌も蒟蒻もお茶も家で作りお米や野菜も自給自足の生活をしていたのを懐かしく思います。

少し前までマクロビオティックが流行していたり、今でこそ無添加のオーガニックが希少価値がある世の中になりましたが、子供時代は自分の家の暮らしぶりが、とても質素でつましい生活なのだと思っていました。

節約が苦にならなかったので結婚してからは
遠い実家に電話をかける電話代を安くあげるために公衆電話でチャリンチャリンと10円玉を数えながら電話をかけたり、茶道の先生からアドバイスされてボーナスは一円も使わずに全部貯金したり工夫を重ねながらアトリエを建てる為に家計簿をつけていました。

あの頃私の節約熱は高まり、ついに野草を食卓になんとかだせないか?とまでなり、クローバーのおひたしなども作っていました。

 

 

結婚して最初の三年間で500万円を貯めて中古の一戸建てを購入し、第一子を出産し、その後三年間で、また500万円を貯めて新築の一戸建てを建てていました。

 

子供が生まれてからは、夫のトレーナーをリメイクして、トレーナー 一枚からスカートとズボンを作って楽しんでいました。

結婚したての頃、私は横浜元町にあるオートクチュールの洋裁学校に通っていたので業務用のロックミシンを使って生まれる前から子供服を作ったり、自分のスカートを作ったりする事が楽しみの一つだったのです。

 

当時の私は銀行にお金を預けるのではなく

野村證券に投資信託で貯蓄していました。

しかし、私に株式や投資信託の知識があったからではなく、銀行のゴミゴミしたせわしない雰囲気よりも野村證券のエントランスからロビーが広々としていて毎回足を運ぶのがとても心地良くて楽しくて豊かな気分を味わえるからでした。

そしてお金を預けると通帳に記帳されるのではなく証券会社では投資信託のお札のような切符のような紙を渡されてなんだかお金が増えてゆく豊かな気分になれたからです。

家で一人になった時に、その交換されたお札の代わりのような紙を何枚も重ねて眺めては、ホクホクしとても満足してました。

 

貯蓄や節約も我慢からではなく楽しみからだと

ストレスもなく

継続出来ますね。

 

子供時代、お店やバス停からも遠く質素な生活をした事で

節約も苦にならなかったのだと思います。