今の環境に馴染めなくて悩んでいる方がいらっしゃったとしても、自分に合う友達、安らげる人間関係はきっとありますよ。
もしも、今はひとりぼっちだとしても、未来は、自分で選択が出来ます。
これは、私の中学校の時の話ですが、今はオンラインやネットで、学校でなくても、居心地の良い自分らしく出来る場所は、沢山探せます。
小学校時代の内向的で学校を休んでいた私は、中学校に進み、初めて学校が楽しく友達と過ごす時間が、とても幸せな時間になりました。
その変化は、
先頭に立つことのなかった私が、なんと自分からクラス委員に立候補したり、生徒会の役員に立候補したり、リーダーとしての責任までも果たすようになって行ったのでした。
そんな風に自然と活発に変わっていったのは、特に、誰かに指示されたり、励まされたからではありません。
むしろ、私が上手く行っている時も、へこんでいる時も、何も言わずに優しくあたたかく見守っていてくれた母親の存在感が大きかったと思います。
そして、新しい環境では、誰かの意見や誰かの行動に、クラスの友達が、なびいてしまうと言う同調圧力のような空気が全くありませんでした。
クラスの友達一人一人が、自分の考え、自分の意見を持つ事が尊重される、そんな安心出来る環境が、自然と私の行動までも生き生きと、変化させて行ったのでした。
中学一年生の夏休みの後、学校に馴染んだ私には、クラスの中に仲の良い二人のお友達が、出来ました。
偶然、席替えで隣の席に座ったのは、小柄な可愛らしいショートカットヘアの女の子でした。その女の子と元々仲の良かった背の高いもう一人の女の子と私は、お弁当を、毎日一緒に食べるようになりました。
ショートカットの女の子は、一人っ子のせいか、私が驚くほど純粋で、無邪気な性格でした。
その子は、学校の図書館で沢山の本を借りていて、しかも、辞典のような難しそうな本まで借りていました。私は、それを見て、内心とてもびっくりしました。
しかし、無邪気な飾り気のないその女の子は、なんと、辞典のような本の写真だけを見て、直ぐに返却しているのだと、あっけらかんとしていっていたのです。私は、内心、「凄いな〜、私も次から、辞典のような本を借りようかな」と、思っていたのですが、「な〜んだ」と思い、その友達の周りの目を気にしないのんびりとマイペースで本を楽しんでいる姿に、ほっとしたのです。
13歳の私は、マイペースでいていいんだ、人と自分を、比べなくていいんだ、としみじみと幸せな気持ちになりました。
もう一人の背の高い女の子は、その学年に一番の成績で入学したと噂される眼鏡をかけたとても、真面目そうな見た目の友達でした。
しかし、ショートカットの女の子とその背の高い女の子の掛け合いを、見ていたら、その背の高い真面目そうな女の子は、決して堅物なわけではなく、ユーモア溢れるとても優しい性格だと、すぐにわかりホッとしました。
背の高い女の子は、国立大学の附属小学校から、私立のこの学校に来たという事でしたが、話を聴いてみると、私と同じ様に、ワイワイキャーキャー騒ぐ事の出来ない性格なので、クラスの隅っこにいる大人しいグループの中で、ひっそりとしていたのだそうです。
国立の附属小学校の中にも、子供同士のヒエラルキーがあるのだなと、私は思いました。
私が、いつも一緒に過ごすのは、その二人の女の子でしたが、ある日の帰り道に、電車を待つ時間にデパートの中で、いつもとは違う友達数人と過ごしていた事がありました。
偶然私の誕生日なのだと私が言うと、その中の一人の女の子が、「誕生日プレゼントをあげる。何でも好きなものを、選んでいいよ」
と、言い始めるのです。私は、驚いて決められないでいました。「本当に、好きな物を選んでいいよ」と、言われ、可愛らしい小さなランプシェードを、私は選んだのです。
普段いつも話す親しいグループな訳ではない私に、いきなり誕生日プレゼントを、デパートであげると言うクラスの友達の優しさに、とても驚きました。小学校の頃は、陰湿な噂話や、プレゼントをあげるどころか、奪い合いや、良い物を持っている人に嫉妬して引きずり下ろすような大人の村社会の縮図のような友達関係だったのに、この学校は、全くそんな事はなく、むしろ、喜んでプレゼントする様な心の広い人達の世界なのだと、あまりの違いに、私は、驚くばかりでした。









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